1
むかしむかし。大多喜の正宝院(しょうほういん)に狐つきをよく落すと、評判の高い法院様(ほういんさま/位(くらい)の高い僧)がいた。評判が評判を呼び、寺は繁盛した。
ある年のことだ。城下の商人が、狂ったように泣き叫ぶ子どもをつれて
「法院様、この子についた狐を落としてください」
と頼みに来た。法院様は
「ああ、承知しました」
と軽く引き受け、いつものようにお経をあげた。
ところが狐はなかなか落ちなかった。普通なら四半時(しはんとき/30分)も経をあげれば、たいがいの狐は離れる。しかし、話し好きな狐で、話ばっかりして離れようとしない。法院様は困ってしまった。
2
・・・三日も経をあげているのに狐はいっこうに離れず、ただただ子どもは泣き叫ぶだけ。村の人たちも
「法院様のお経も効かなくなったなあー」
と噂した。
法院様は困ってしまった。そこで、子どもについた狐に
「狐や狐、わしも祈祷(きとう)で寺を守っている。おまえさんが、この子どもから離れてくれなければ、困ってしまう。どうかわしの立場も考えて、この子から早く離れてくだされ」
と半(なか)ば泣きながら訴えた。すると狐はいった。
「わしは千年も前から飯綱大明神(いづなだいみょうじん)の使者狐だ。ちょっとしたことがあって、この子に取りついたが・・・どうも、あんたが困っているようだ」
「その通りです。どうか離れてくだされ・・・」
「・・あんたの謙虚さが気に入った。よしよしあんたに狐つきが落ちる方法を教えてやるから筆と紙を持って来い」
法院様は狐の言葉を一言一句もらさず書き記した。
「全部書いたな」
というと、狐は子どもから離れた。
3
それからというもの、どんなに難しい狐つきでも、この法院様にお願いすれば、あっという間に落ちた。「正宝院の法院様は狐つきを落とす名人だ」と、以前にもまして評判となった。大多喜だけでなく、近くの村々にも伝わって、正宝院は繁盛したという。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)