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国道二九七号線、大多喜町と勝浦市の境に『地獄橋(じごくばし)』と呼ばれる橋がかかっている。何も地獄なんて縁起の悪い名前をつけなくていいのに、と思っていた。 だが、この橋が地獄橋と呼ばれるようになった話があったのだ。
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♪世は戦国の房総に
武田(たけだ)や正木(まさき)の根古谷城(ねごやじょう)
万木(まんぎ)の土岐(とき)と 幾度か
干戈(かんか)交へし 刈谷原(かりやばら)・・・
『大多喜城讃歌』 詩・尾本信平
歌にも歌われているように、戦国時代、房総の武将は勢力拡大のため、各地で小競り合いをくりかえしていた。 大多喜には武田、正木、隣の夷隅には土岐、安房には里見・・・あまたの武将がいくどとなく戦をくりかえしていた。
今となってはだれとだれが戦ったか確かなことはわからないが、今の大多喜町と勝浦市との境も戦(いくさ)があった。
霧が立ちこめた未明のことだった。
「あの砦に攻め込め」
大将の命令で数千の兵が砦(とりで)に襲いかかった。壮絶な戦いが始まった。馬も人もいっせいに走りはじめた。
「敵は逃げるぞ、一気に追え」
不意の襲撃に兵達はただ逃げるしかなかった。
「射(い)よ、射よ」
弓を徹底的(てっていてき)に射させた。倒れた兵の体からおびただしい血が流れた。
「火をつけろ」
砦はたちまち赤い炎につつまれた。
「一人残らず殺してしまえ」
逃げまどう兵に向かって、さらに弓を放った。
砦は焼き払われ、死んだ兵はもちろん死にきれず息のある者まで焼き殺された。血のにおいと死体の焼ける異様なにおいにつつまれた。
やがて空が真っ黒になり、雷鳴(らいめい)がとどろいた。稲妻(いなずま)がバリバリ走る。風が吹き、雨がふりだした。倒れた兵に容赦(ようしゃ)なく雨がたたきつけた。 その光景はまさにこの世の地獄であった。
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この戦の後、この橋をだれいうともなく『地獄橋』と呼ぶようになり、戦の悲惨さ、残酷さを今に伝えている。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)