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あたたかい話

あたたかい話

メキシコ友好物語

御宿町の昔ばなし

御宿海岸(おんじゅくかいがん)を見おろす高台に「記念塔(きねんとう)」とよばれている高さ十七メートルの白い塔(とう)が建ち、ここを「メキシコ公園」と呼んでいる。一方、大多喜には「メキシコ通り」と呼ばれるお城へ通じる美しい歩道がある。メキシコにまつわる話が御宿町と大多喜町に語りつたえられている。

1
慶長(けいちょう)十四年(一六〇九)七月。フィリピン領長官(りょうちょうかん)ドン・ロドリゴは、任期を終え、ふるさとメキシコへむかっていた。サンフランシスコ号は、三本マストの白い帆(ほ)に、夏風をいっぱにうけて二隻(せき)の船をしたがえ、北上していた。くる日もくる日も、昼は青空が続き、夜はたくさんの星が空をかざった。晴天と順風にめぐまれた航海が続いた。ドン・ロドリゴも乗組員も、ふるさとメキシコに残してきた家族たちを思い、早く会いたいと思っていた。この天候なら、予定より早くメキシコに到着するとだれもが思っていた。
しかし、良い天候は続かなかった。フィリピンを出航してから十四日目。八月十日の午後、波はうねりだした。海はにごり、やがてどす黒い色へとかわった。船のゆれがはげしくなった。
(台風にぶつかったかな。困った)とロドリゴは思った。日が暮れると船はますますはげしくゆれ、マストはミキミキと不気味な音をたてた。ロマンチックな星空は、あつい雲がたちこめ、ぶきみな夜へとかわった。嵐がおさまり、天気が回復してくれることをだれもが祈った。しかし、翌日も、また次の日も嵐は続いた。三日三晩、船は風雨にさらされ、大海をさまよった。
そして四日目の朝、嵐はやっとおさまった。乗組員は寝不足と船酔いに、すっかりまいっていた。しかし
「雨や風は神さまの贈り物さ・・・」
「広い広い太平洋、時には嵐もあるさ」
と破れた帆(ほ)の修理(しゅうり)に精(せい)を出した。しかし、雨が止んだのはその日一日だけであった。よく日、また嵐がやってきて修理した帆(ほ)を破った。そうして、また三日三晩、荒れ続け、四日目に雨は止んだ。波のうねりもおさまった。行く手の水平線が明るくなり、みんなはひと安心した。
しかし、それも長くは続かなかった。また、嵐がやってきた。嵐はこれまでよりも、すさまじかった。船は大きなうねりにいく度もうちあげられ、うち落された。おそろしい嵐であった。サンフラシスコ号に従ってきたサンタ・アナ号とサン・アントニオ号を見うしない、船団はばらばらになってしまった。嵐は続いた。乗組員のだれもが「神に見はなされた」と思った。
ゴーゴーゴー・・・・
ゴゴーゴゴーゴゴー・・・
不気味なうなりとともに、船がかたむいた。
「だめだ、ほばしらを切りたおせー」
船長の命令が出た。
海に投げ出されないように、綱で体を結んでハンマーをふるった。風雨が作業のじゃまをしたが、やがて
ドドドー
と帆(ほ)柱(はしら)はたおされた。船は木の葉のように、波のうねりに身をまかせた。嵐がおさまったと思っても、三日ともたず、また嵐がやってきた。この季節、東シナ海は台風の季節であったのだ。食糧も連日の雨でくさり、悪しゅうをはなった。そまつな食糧と、疲労のために、みんな精も根もつきはてた。

2
九月二十九日。フィリッピンを出航(しゅっこう)してから六十七日目の夜であった。
ギギギー ギギギー
ガガー ガガー
船底をかきむしるぶきみな音がひびいた。その時であった
ドーン
という音とともに船がかたむいた。乗組員はころがり、甲板にいた者は夜の海にほうり出された。
「座礁(ざしょう)だ」
「岩にのり上げてしまったようだ」
「助けて・・・」
「神さまー」
悲鳴(ひめい)が船中にあがった。これでこの世とお別れ、船とともに海の底に沈むとだれもが思った。
みな一睡(いっすい)もせず、海にほうりだされた仲間をさがした。そうして、夜明けをむかえた。助けられた仲間もいたが、わずかだった。朝もやの中、無惨(むざん)にかたむいた船体は、幽霊船(ゆうれいせん)のようだ。
「おお、神よ。われらを見はなされたのか」
「神さま・・・」
みな、ただ祈った。
やがて、霧(きり)が流れた。明るくなるにしたがい、視界(しかい)が広けた。
「陸だ。陸が見える・・・」
「助かったぞ」
こうふんした声が、甲板(かんぱん)にひびく。
「おお・・・陸だ」
「どこの国だ」
「無人島か」
「神はまだわれわれを見はなされなかった。おお、神さま・・・」
陸の出現に喜び、神にかんしゃした。
船から陸まで約三百メートルほどだ。乗組員の一人が丸太につかまって陸をめざして泳ぎだした。続いて五人六人・・・十人二十人・・・と、けんめいに陸をめざした。
小麦色の砂浜に泳ぎつくと、さけんだ。
「人がいるぞ。小屋がある。小屋が」
そまつな小屋をみつけた。小屋には女の着物や漁の網が干(ほ)してあった。
「ここはジパングだ」
「この衣服はジパングのものだ」
「助かった。これで食糧も・・・船の修理も・・・」
ロドリゴはいった。

3
山道を下りてくる男たちがいた。男たちは難破船(なんぱせん)を発見すると、あわてて引き返して行った。そうして、男たちがふたたび姿を見せた時には、男たちの数は先ほどの数倍にふえていた。
やがて、老人、若者、男、女、こども・・・。海を見下ろす山は人でごったがえした。ロドリゴたちは、不思議そうに見ている人たちを手まねきして呼んだ。ここの長(おさ)と思われる威厳(いげん)のある男がゆっくり山をおりてきて、ロドリゴたちに近づいた。男はロドリゴの前に立つと、ゆっくりふかく頭を下げた。男につられ、ロドリゴもかるく頭を下げていた。おたがいに敵対(てきたい)する者でないことは理解できた。ロドリゴは座礁(ざしょう)した船をさし、両手を胸の前でひらき、顔をくもらせた。男は、山で不安そうに見守る人たちをよんだ。
浜はおおぜいの人でごったがえした。救援作業(きゅうえんさぎょう)がはじまった。座礁(ざしょう)している船にむかって若者たちが小舟をこぎだした。若者たちはみな漁師だ。海のことはよく知っている。やがて、船の中の乗組員を小舟に乗せて岸に向かった。次から次へと漁師が飛びこみ乗組員をたすけた。一方、陸では女たちが火をたき、大きななべに湯をわかし、飯をたきはじめた。

4
「ううう・・・」
海から引き上げられた乗組員が、うなり声をあげ、砂浜にたおれた。
「しっかりしろ。たすかったのだ」
「こら、眠ちゃだめだ。起きろ」
漁師たちは必死にゆすぶった。声をかけてもビクともしない。
それを見ていた海女(あま)の一人が走ってきて、ぐったりしている大きな男に近づいた。今にも息がたえそうな乗組員をはだかにし、かわいた布でこすりはじめた。心臓のあたりを必死にこする。しかし、変化はない。
突然、海女(あま)の一人が自分の着物をぬいで裸になった。そうして、瀕死(ひんし)の大きな男をだいた。口づけし、息をふきこむ。
やがて海女(あま)の気持ちが通じたのか、大きな男は、かすかに動き
「う、ううー・・・」
息をふきかえした。すると、見ていた海女(あま)たちが、いっせいに走った。ぐったりした大男たちをはだかにし、先ほどの海女(あま)がしたように、体をこすった。そして、はだかになって大男たちをあたため、口づけし、息をふきこむ。瀕死(ひんし)の大男たちは次々に息をふきかえした。
「おお、神さま・・・」
「ありがたい・・・」
「おお、この国は神の国か・・・」
「神はわれわれを神の国におみちびきくださった」
・・・・・・ ・
ロドリゴたちは喜びの声をあげてた。
サンフランシスコ号の乗組員は三七六名であった。そのうち生存者(せいぞんしゃ)は三一七名、死体収容数十六名、行方不明者四十三名であった。
神がロドリゴ一行をおみちびきになられたところは、御宿町岩和田(いわわだ)である。人口三〇〇名にもみたない貧しい村であった。

5
あわれな姿を見て
「寒いだろう・・・。かわいそうによう・・・。海の向こうの故郷には家族もいるだろうに」
村人は同情し、貴重な綿(わた)入(い)れを遭難者(そうなんしゃ)たちに着せた。
遭難者は村の中心にある寺に集められた。寺の境内では大きな鍋に人参、大根、ナス、ネギの入った汁と握り飯がふるまわれた。皆、夢中になって食べた。おかわりもした。
「おいしいか。腹いっぱい食べろ」
腹をすかした異人達に微笑んだ。異人たちも
「おいしい、おいしい」
と満面の笑顔でこたえた。
村一番の大きな建物である大宮(おおみや)寺でも、五〇人ほどしか収容できない。村長は村人に宿を願い出た。しかし、紅い髪、高い鼻、青い目の大男たちが同じ屋根の下で寝るとなると
「何だか鬼のようだね。おら家に小さい子どももいるし、宿だけはねえ・・・」
と異国人を宿泊させることをためらう人もいた。すると村長は
「なにを言う、異国人だろうが同じ人間だ。髪や目の色は違うが、切れば血の出る同じ人間だ。困ったときは互いに助け合う、それが岩和田村の人間じゃないか」
「そうは言ってもなあ、言葉も通じない者同士が同じ屋根の下では、こっちの神経がやられてしまう」
「それなら、納屋(なや)でもいい。とにかく雨風が防げる所に泊めてやってくれ」
「納屋ならいいだろう」
と、村人が承諾(しょうだく)した。
日がたつにつれ、外見が鬼(おに)のように思えた異国人も故郷に子や家族を思う同じ人間であることにがわかった。
「納屋ではかわいそうだ。母屋(おもや)に寝てください」
と母屋を宿泊場所にあたえるようになった。

6
岩和田村でスペインの船が座礁し、異国人が助けられたことはその日の内に大多喜城に知らされた。
すぐに会議が開かれた。
「異人たちを切ってすてるのがよかろう」
「南蛮人(なんばんじん)をすべてきりすてねば、後々悔いることになろうだろう」
「いや異国人といえども、われわれと同じ命をもっている。殺してはなるまい」
意見は対立した。
大多喜城主とはいえ忠朝も、異国人の処遇(しょぐう)については判断(はんだん)できなかった。ただちに江戸の徳川秀忠に判断(はんだん)をあおいだ。将軍といえども秀忠の一存で決定することはできない。駿府城の父家康の指示を待った。
一方、城主忠朝は異国人の様子を視察する使者をつかわした。もどって来た使者たちは異口同音にこう述べた。
「異国人は、確かに髪は紅、目は青く鼻は天狗のように高いですが、とても礼儀正しく、友好的な人達ばかりです。みな疲れ切って、抵抗すらできません。そのような弱い立場の者を助けることがわれわれのつとめだと心得ます」
やがて、秀忠からは「異国人を温かくもてなしなさい。間違っても殺したりしてはなりません」という指示が届いた。

7
二十七歳の忠朝は三〇〇人の家来をしたがえて、岩和田にやって来た。家来は鎧甲を身につけ、槍(やり)や薙刀(なぎなた)、火縄銃(ひなわじゅう)を持ち隊列を組んでやってきた。
ロドリコたち三一六人は、忠朝一行を迎えた。異国人は甲冑(かっちゅう)姿三百人の一隊を威厳(いげん)に満ちた美しいものと思った。
異国人の最前列に控(ひか)えていたロドリゴは忠朝を見ると、深々と頭を下げた。忠朝は隊列の歩みを止め馬をおり、ロドリゴに近づいた。頭を垂れていたロドリゴの手とった忠朝はその手にキスした。周りの者たちは驚いたが忠朝には(ロドリゴよ、お主が日本の礼儀を心得ているように、わしも西洋の習慣を知っているぞ)というしぐさをあらわした。ロドリゴは先ほどよりさらに頭を低くたれて、敬意の心をしめした。
「航海の途中嵐にあわれたとか、さぞたいへんだったでしょう」
「はい、たくさんの金銀財宝を失ってしまいました。しかし一番大事な命だけは残っています。神様がこの島に導いてくださったのです」
「さようか。この国の食べ物は口にあいますか。あなたのお国では牛や鶏など動物の肉を食されると聞いております。これはわしからの贈り物です。めしあがってください」
忠朝は生きた牛、鶏を贈った。さらにみやげとして日本刀を贈った。そしてロドリコに
「乗組員一行の体力と気力が回復するまで滞在してください。十分なもてなしはできませんが、困ったことは何なりとおしゃってください」
とにこやかに言った。続けてそばにひかえていた村長に言った。
「食糧はじめ生活に必要なものは、おしまず与えよ」
「かしこまりました。村民一同おもてなしいたします」
地面に額がつくほど深く礼をした。さらに続けた。
「船からの漂着物(ひょうちゃくぶつ)をひろったときはすぐに届けさせよ。けっして私物化(しぶつか)してはならぬ。もし私物化した者がいたら罰する。このことを村人に申し伝えよ」
忠朝の声は威厳(いげん)に満ちていた。
忠朝はそのうちに大多喜城に帰った。村長はすぐに村役人をよびおふれ札を書かせた。札には「異国船からの漂着物をひろった者は村長に届けること。もしも持ち帰った者があれば厳罰(げんばつ)に処(しょ)する」という趣旨(しゅし)の札が村のあちこちに立てられた。
異国船が岩和田沖で座礁し、髪が紅く目が青い大男達が助けられたことは、上総、下総、安房一帯に伝わり、連日岩和田の浜は大勢の人々でにぎわった。

8
秋晴れの十一月六日、ロドリコ一行は忠朝が待つ大多喜城への向かった。岩和田村から久保村、高山田村を過ぎ峠にさしかかった。一緒に生活した岩和田村の人々は別れをおしみ、峠まで見送った。
「大変お世話になりました。見送りはここまでにしてください。別れがつらくなります」
着いてくる岩和田の人々に対してロドリゴは涙ながらに言った。
「どうか気をつけて旅をしてください。故郷メキシコに帰られても岩和田のことをわすれないでください。私たちもみなさんと一緒(いっしょ)に過ごした日々は決してわすれません」
新宿という集落を過ぎると下り坂になり、刈(か)り入れの終わった田んぼが広がっていた。
「さようなら、さよなら・・・」
岩和田の人々は峠からいつまでも手をふった。ロドリゴ一行もふりかえりふりかえり手をふった。
途中いくつもの小さな集落を通った。どの集落でも紅毛の異国人を見ようと人であふれた。、約二十キロの道を進み、陽が西に傾いたころに大多喜に着いた。大多喜は人口一万二千の房総一の城下町。異国の人を見ようという人々で、ごったがえしていた。旅籠(はたご)や商家がならぶ城下を過ぎ大手門(おおてもん)をくぐり山のいただきにある城に向かった。
城門をくぐると深い堀がある。堀には大きな橋がかけられ、ロドリコ一行が渡り終わると橋は太い綱によって橋の片方が引き上げられ、城門は閉じられた。敵の侵入(しんにゅう)・攻撃(こうげき)に備えての「跳(は)ね橋」である。堀は深く城壁(じょうへき)も高い。城壁の上には火縄銃を持った兵が百人ほど立っている。
百メートルほど進むと、また大きな門があった。先ほどと同じように跳ね橋があり、槍を手に持った兵士たちがならんでいる。第一の門と第二の門の間には野菜畑や田んぼがあった。籠城戦になったときに食糧に困らないようにとのことだ。ロドリコ一行はこの広場で待たされた。山の上からは、秋色にそまった山々と整然とならんだ黒い瓦屋根の家々が見える。美しい城下である。ロドリコは日本語のできる家来を従えて、更に奥に進んだ。すると忠朝が二十人ほどの家来をしたがえて出迎え、低い松の木がしげる池のある瓦葺きの建物の中に招かれた。
夜は城下の旅籠に招かれて、酒とごちそうでもてなされた。膳には魚、猪の肉、山菜、果物がならび、最高の客人を招く料理でもてなされた。美しい若い娘たちが酒を注いでまわった。
「日本の酒は口にあいますか」
「はい、日本の酒は美味(おい)しいです」
「それはよかった。喜んでいただけたか」
「この大きな魚は何という魚ですか」
「これは、ここ夷隅川(いすみかわ)でとれた鯉(こい)という魚です」
「こい・・・」
「はい。鯉のなますです」
鯉のなますは大多喜の名物であった。当時、大多喜藩から江戸へ参勤交代が行われていたとき、大多喜からの土産は鯉であった。紫鯉といって珍重(ちんちょう)された。
「日本酒によくあいますね。じつにおいしい魚だ」
「さようでござるか。異国の人のお口にもあいますか」
ロドリゴ一行は心ゆくまで忠朝のもてなしを楽しんだ。
大多喜滞在十日目、岩和田上陸後の四十八日目の十一月十七日。駿府城(すんぷじょう)から家康の使者がやってきた。この使者にロドリゴはおどろいた。何と頭髪は紅く、目が青色の侍であった。名は三浦按針(みうらあんじん)だが、ウイリアム・アダムスというイギリス人である。イギリスはスペイン人にとって敵国である。スペインの無敵艦隊(むてきかんたい)は一五八八年にイギリスに宣戦布告(せんせんふこく)し十三年間、五回の海戦で新興国(しんこうこく)イギリス艦隊(かんたい)に惨敗(ざんぱい)した。それで一六〇四年、スペインはやむなくイギリスと講和した。スペインに勝利したイギリスは七つの海に乗り出し、スペインの制海権(せいかいけん)をじりじりとせばめていたのだ。ロドリゴは漂着者(ひょうちゃくしゃ)、アダムズは最高権力者(さいこうけんりょくしゃ)家康の重臣(じゅうしん)である。ロドリゴはアダムスに命の有無を握られていた。しかし、アダムスはロドリゴに好意を持ち、温かく接した。ロドリゴも敵国人とはいえ、アダムスの温かい人柄にひかれていった。
アダムスが家康からたくされた朱印状(しゅいおんじょう)の内容は
一、海岸にうちあげられた品々は、すべてロドリゴにあたえる
一、家康の駿府城にむかう間、旅の安全を保証(ほしょう)し、食糧の支給(しきゅう)を約束する
というものであった。
途中、日本の将軍江戸の秀忠に会い、さらに事実上日本の最高実力者、駿河の家康に謁見するように言われた。

9
翌十一月十八日、ロドリゴ一行は馬で約二十里の道を江戸に向かった。忠朝はロドリゴにすばらしい黒い馬を贈った。大多喜城では一行を迎えた時のように、槍や長刀を持った兵三百人、火縄銃を持った兵百人が見送った。城下でも大勢の町人が見送った。一行は城下を過ぎ、小土呂坂(おどろざか)にかかると何度も何度も振り返って城下を見下ろした。大多喜城の金の鯱が秋の陽に輝いていた。ロドリゴは忠朝の慈愛(じあい)に満ちた顔を思い返していた。
途中、休憩をとり、宿泊した。どこでも、たくさんのごちそうとあついもてなしを受けた。家康の朱印状の「旅の安全を保証し、食糧の支給を約束する」という内容を思い出し、家康の力の偉大さを思った。
江戸に入って三日後、江戸城の徳川秀忠に謁見(えっけん)した。さらに四日後家康の住む駿府に向かった。家康は一行をもてなし、その後故国メキシコに帰るための船、サンタ・ベナベンツーラ号を建造してやった。そうして、ロドリゴ一行は慶長(けいちょう)十六年(一六一〇)に帰国した。

10
昭和五十三年(一九八七)十一月にはメキシコ大統領ロペス・ポルチーヨが御宿町と大多喜町を訪れ、三九〇年前のお礼をのべられた。御宿町の人も大多喜町の人も、三九〇年前と同じように大統領をあたたかく迎えた。これを記念し御宿町には「メキシコ公園」、大多喜町には「メキシコ通り」がつくられ、昭和五十三年のメキシコ大統領来日を今につたえている。
御宿町では海難救助発祥(かいなんきゅうじょはっしょう)の地としてライフセーバー大会が毎年開催されている。大多喜町では毎年秋に「お城まつり」が催されメキシコ大使館の人達が招待され、祭りの最大イベント武者行列にはロン・ロドリゴにふんした人が共に行進する。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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