むかし、上総の国、奥津(今の興津(おきつ))大沢の海辺の村にお仙と言う美しく気立ての良い娘が住んでおりました。お仙が十二の時、優しかった母親が亡くなり、病身の年老いた父と二人ひっそりと暮らしておりました。ある日、親孝行のお仙は村人から大沢の浜の高い崖に根を張る磯菊が父親の病気に大変よいと聞きました。それからお仙は毎日、其れを取ってきては、煎じて父親に飲ませる事にしました。ちょっと足を滑らせればまっさかさまに青い海に吸い込まれてしまう危ない場所で、大人でも中々近寄れない所でした。娘の孝行の心が通じたのか父親の病気は段々とよくなりました。そして、お仙は大きくなるにつれて益々美しく近在の評判になりました。
ある時、心の良くない土地の代官にその美しさが伝わりました。代官は是非(ぜひ)自分の元に置きたくなりました。多くのお金を持って使いの者がお仙の家に来ましたが、父親は代官屋敷に行けば娘が不幸になるのが分かっているので固く断りました。心の良くない代官は、手を変え品を変え頼んでも聞き入れて呉れないので、カンカンに怒って遂(つい)に父親を殺してしまおうと考えました。
ある日代官は家来に命じてお仙の居ない間に父親を連れ出し、縄で縛り猿轡をはめて筵巻きにしてしまいました。夜暗くなったら海の中にころげ落とす積もりだったのです。お仙は磯の仕事から帰る途中、其れを見て息の止まる程驚きました。今、そっと助けても又必ずやってくるので大切な父親を死なせる事は出来ないし、お仙はどうしたものか迷い、泣くばかりでした。そして小さな胸に固い決心を致しました。父親を助けて家に帰り、父親が安心してねむると、お仙はそっと家を出ました。空には綺麗な星がキラキラと光っています。その星の一つが懐かしい母の様に見えました。波の音がお母さんの声のように聞こえました。お仙の頬に又熱い涙がこぼれました。暗い崖の上でお仙は昼間父親が巻かれていたように、自分で筵巻きになって横たわっていました。代官はお仙ともしらず、がけ下に転がし落としました。
後でこのことを知った父親は声を上げてただ泣き崩れるばかりでした。心の優しい村人たちも嘆き悲しんで泣き泣きお仙のお弔いをしました。崖の上の草むらに『孝女お仙の碑』を作り、美しい野の花を供えました。おせんの話しは、いつまでも後の世に伝えられ、いつかその地を「おせんころがし」と呼ぶようになったと言います。
(齊藤 弥四郎 編纂)