1
むかし、むかし、勝浦のお話です。海に突き出た八幡岬(はちまんみさき)に、お城のあったころです。
城下に、大きな店がまえをもつ呉服店がありました。この店にお竹という十八歳になる、美しい娘がおりました。年ごろの美しい娘なので「お嫁さんにもらいたい」
という話が、たくさんありました。お竹の父母も(そろそろ嫁にやらなければ)と思っていました。しかし、お竹は
「私は、まだ嫁にはゆきません」
といって結婚の話をことわってきました。
2
ある春の夕暮れ時でした。昼すぎから曇ってきた空は、ぱらぱら小雨が落ちてきたかと思うと、どしゃぶりになってきました。
「お竹、部屋の雨戸しめて」
「はーい」
お竹は、あわただしく二階にあがって、雨戸をしめようとしました。すると家のひさしに雨宿りをしている若者が目にとまりました。若者は片足で立ちげたを持って、どしゃぶりをうらめしそうにながめています。
しばらく見ていましたが、雨戸をひきました。
ガラガラ・・・ガラガラ
という雨戸をひく音に、若者は二階を見あげました。若者とお竹は、目があいました。若者は、反射的に「すみません」と小声でつぶやき、軽く頭を下げました。若者の会釈にうながされて、お竹も、ぺこんと頭を下げていました。お竹は、顔がほてり、赤くなるのを感じました。雨戸をしめおえると、お竹は傘をもって外に出ました。
「もしもし、いかがなされました」
「はい、急に雨が降ってきまして、走りましたところ、これこのように、げたの鼻緒を切ってしまいましてな・・・」
「まあ、まあ。それはお気の毒に。どうぞ中にお入りになってください。」「いや、いや。鼻緒もすぐつけ代えられますし、雨もすぐ止むでしょうからもう少し軒下をかしてくだされ」
と口にした手ぬぐいを切ろうとしました。
「そんなことおっしゃらず。どうぞ、どうぞ。ご遠慮なさらずに・・・」
戸外で聞こえるお竹の会話に、なにごとが起きたのかと、父の徳右衛門(とくえもん)が出てきました。徳右衛門(とくえもん)を見ると、若者はていねいに頭を下げました。お竹がことのなりゆきを話すと
「こまった時はおたがいさまです。どうぞ、遠慮なさらずに店の中へ」
父と娘のすすめに若者は店に入り、切れた鼻緒をつくろいました。
鼻緒がつくろい終わると
「ありがとうございました。わたしは、お城につかえる笹川勘十郎(ささがわかんじゅうろう)という者です。ほんとうに、ありがとうございました」
「いえ、いえ。こまった時はお互いさまです」
・・・・・
「通り雨のようでしたね」
「さよう。雨もあがったようですし、わたくしはこれで・・・ありがとうございました。ほんとうに助かりました」
勘十郎(かんじゅうろう)は、頭をかるくさげ礼をいうと、うす暗い街に出てゆきました。
3
その夜、お竹は勘十郎(かんじゅうろう)を思いだし、なかなか寝つかれませんでした。こんな気持ちになったのは、お竹にとって初めてのことでした。胸がキューウンと、しめつけられるように痛み、そのたびに勘十郎(かんじゅうろう)さまにもう一度あいたいと思うのでした。
次の朝です。
「昨日はありがとうございました。たすかりました」
「いえ、いえ・・・どういたしまして」
徳右衛門(とくえもん)は勘十郎(かんじゅうろう)に深々と頭をさげました。そうして、
「お竹、お竹・・・。勘十郎(かんじゅうろう)さまが・・・」
奥のお竹をよびました。
お竹は、顔を真っ赤にしながらも、うれしくて、うれしくて、なりませんでした。勘十郎(かんじゅうろう)の前で、ぼーと、立っている娘に
「さあ、つ立ってないで、お茶をお出しなさい」
「は、はい」
お竹は、いそいで奥にいくと手鏡をだして、ほんのり赤らめた顔をみるのでした。しばらくして、お竹は盆にお茶とお菓子をもってきました。話は、はずみました。お城のこと、お店のこと、近ごろの城下にぎわうようす、浜の大漁のうわさ・・・と。
帰りには、海をみながら八幡岬(はちまんみさき)のお城近くまで見送りました。その後、お竹と勘十郎(かんじゅうろう)はふたりでたびたびあうようになりました。
4
いつしかふたりは、一緒になることをちかいあうようになっていました。ところが、この話を知った父の徳右衛門(とくえもん)は激怒しました。なぜなら、勘十郎(かんじゅうろう)は武士といっても徒士(かち)といって、身分のひくい貧しい武士だったのです。それに、父の徳右衛門(とくえもん)はお竹の相手は商人の息子と心に決めていたので大反対し、二人のなかを引きはなそうとしました。しかし、お竹は
「私は勘十郎(かんじゅうろう)さまとしか、結婚を・・・」
というばかりで、父のいうことなど聞こうとしません。
しかたなく徳右衛門(とくえもん)は、二人をはなすために、お城に行儀見習いで奉公に出すことにしました。(お城にゆけば勘十郎(かんじゅうろう)さまにおあいできる)こんな軽い考えで奉公に出た、お竹でした。しかし、お城の奉公はきびしく、勘十郎(かんじゅうろう)さまにあえることなどありませんでした。朝から晩まで、行儀作法の習いでした。それでも、勘十郎(かんじゅうろう)を思い出すと、いてもたってもいられず、夜中にこっそりと、城をぬけだしてあう二人でした。あるときは、さざなみの聞こえる入り江で。また、あるときは太平洋が見わたせる岬の丘で、人目をしのんであっていました。そうして
「いつかかならず、一緒になって幸せになろうね・・・」
とちかい合うのでした。
5
やがて、行儀作法(ぎょうぎさほう)の見習いが終わると、お竹は殿さまのそばに奉公することになりました。お竹の美しさは、すぐにみそめられ、殿さまは
「お竹をわしの側室(そくしつ)に・・・」
と、いいだしました。殿さまの命令にはさからえません。
いよいよ明日から殿さまに仕えなければならないという日です。城をぬけて、いつものように勘十郎(かんじゅうろう)にあったお竹は涙を流しながらいいました。
「明日から殿さまに仕えねばなりませぬ。勘十郎(かんじゅうろう)さまと一緒になれないならば、いっそ、この岬から身投げして・・・・」
「いや、なりませぬ。生きていれば、いつか必ず・・・」
「いやでございます。お竹には勘十郎(かんじゅうろう)さまだけしか・・・・」
「うう・・・ううう・・・」
ただただ、泣くことしかできないふたりでした。
泣きつづける二人でしたが、お竹が決心したようにきっぱりいいました。「逃げましょう」
「逃げる・・」
「そうよ。この街を出て、知らない土地で一緒にくらすのです」
「どこえでも連れていって。さあ、はやく」
「今夜この街を出れば、明日は・・・」
「でも、見つかれば・・・打ち首・・・」
「わたしたちだけでなく、お竹の家にも迷惑を。店もおとりつぶしに」
「いいのよ、そんなこと。それよりも勘十郎(かんじゅうろう)さまと一緒に」
「・・・・・」
勘十郎(かんじゅうろう)は、お竹の手を強くにぎると、かけだしました。岬をおりて、街の中。にぎやかな街をぬけて、ふたたび海鳴りの聞こえる海岸線。(ここまでくれば、もうお城の見はりもない)と、二人で手をとりあって、走りはじめました。新しい土地でふたりだけの幸せな生活が・・・お竹の心にも、勘十郎(かんじゅうろう)の心にも、希望となって満ちてきました。その時でした。潮騒にまじって人のざわめきが聞こえてきました。そして、
ピー
という高い笛の音。それが、追っ手であることがすぐにわかりました。ふりかえると、浜の林のむこうにちょうちんの灯がゆれています。二人はいちもくさんにかけだしました。しかし、女の足。すぐに追っ手に追いつかれてしまいました。
「お役人さま、お見逃しを・・・」
「わたしたちは好きおうているのです」
「お見逃しを、お見逃しを・・・・」
「お願いします・・・」
二人の必死の願いもむなしく、役人に捕らえられてしまいました。
6
次の日の朝、二人は殿様の前に引きずりだされました。
「なにか申すことはないか・・・」
という殿さまのことばにも、二人はだまったままでした。殿さまは怒り、
「ええい。二人とも、街中を引きまわし、打ち首にせよ」
と怒鳴るのでした。しかし、二人は顔色ひとつかえませんでした。
ふたりはしばられ、街中を引きまわされました。
「なんてかわいそうに・・・」
「あんなに若い者たちを・・・」
「ふたり一緒にさせてあげればいいのに・・・」
人々は、二人に同情し、涙を流し見送りました。そうして、街のはずれにある丘につきました。笹のおいしげった丘にしばられた二人はすわらされ、打ち首になりました。
後の話ですが、首を切った役人の話によると、お竹は首を切られる瞬間
「無念・・・」
と叫んだそうです。またお竹の首は、地に落ちると笹の葉にかみつき、涙を流していたということです。
「これから、だれにもじゃまされず二人だけの幸せな生活ができたのに、ほんとうにかわいそうに。お竹の首が笹にかみついた無念さもわかる」
と、城下の人たちが後に話していたということです。
それ以来、二人が処刑されたこの地をだれ言うともなく「お竹、勘十郎(かんじゅうろう)」と、呼ぶようになりました。現在の勝浦中学校の運動場の東側にある高台が処刑された場所です。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)