1
むかし むかしのことだ。いすみ市にお信(のぶ)という、たいへん力(ちから)もちのむすめさんが住んでいた。村の若もの
たちのあいだにも
「お信(のぶ)の力(ちから)はすげえぞ。米だわらなんか、かるがる片手でもちあげるからなあー。あんな力(ちから)もちにかかったら、たいへんだぞ」
と、うわさになっていた。そんなうわさに、お信のとうさんもかあさんも
「おなごが、そんな力(ちから)をだすもんでねえ。もっと女らしくしなければ、だれも、よめにもらってくれねえぞ」
と、心配した。しかし、お信(のぶ)は
「力(ちから)もちはいいことだべえ。仕事だってはかどるし・・・。」
と言って、力(ちから)もちをかくそうともしなかった。
しかし、さすがのお信(のぶ)も年ごろになると、うわさが気になり、力(ちから)もちをはずかしく思うようになってきた。それで、かるがると持ち上げられる米だわらも大きな石も、女らしくみせるために
「う、うん。重たくて、とても、もてません」
と、力(ちから)持ちをかくすようになってきた。お信(のぶ)の力(ちから)持ちといううわさは、いつの間にやらきえていった。やがて、となり村の十兵衛のところによめにいった。
およめにいったお信(のぶ)は、とうさんかあさんの
「あんまり力(ちから)をだすでねえ。女らしく、力(ちから)のないふりをするんだぞ」
ということばを思い出して女らしく、しとやかにふるまった。
2
ある日のことだ。
十兵衛(じゅうべえ)は庭でおふろにはいっていた。五右衛門風呂(ごえもんぶろ)というやつだ。五右衛門風(ごえもんぶろ)五右衛門風呂(ごえもんぶろ)とは、人間がはいるくらいの釜の大きなやつとおもえばいい。その大きな釜に水をいれ、下でまきをたくのが五右衛門風呂(ごえもんぶろ)というやつだ。十兵衛(じゅうべえ)は気持ちよさそうに風呂(ふろ)につかっていた。
ちょうどそのときだ。急に雨がふってきた。庭先だ、屋根などない。
「お信(のぶ)、かさをもってこい」
と、どなった。
お信(のぶ)はかさをさがしたがみつからない。あっちへいったり、こっちへきたりしている間に
「お信(のぶ)、なにをしているんだ。はやくもってこい」
と、十兵衛(じゅうべえ)のイライラした声がする。しかたなく、お信(のぶ)は庭に出て
「かさがみつからないの」
と、言ったら。十兵衛(じゅうべえ)は雨にぬれながら
「いつもの所にあるだろう。いつものところだよ」
と、さらに大声でどなる。お信(のぶ)は、いつものかさおき場にいってみたが、ない。
しかたなく、また庭にとびだして
「ないよ」
と、言うと十兵衛(じゅうべえ)は先ほどよりもっと大きな大きな声で
「じゃあ、さがして持ってこい」
というと、お湯から首だけだして目を白黒させて、雨にぬれている。
(こりゃ、えらいことだ)
お信(のぶ)はひょいと五右衛門風呂(ごえもんぶろ)をもちあげた。
そうして、風呂(ふろ)につかっている十兵衛(じゅうべえ)を風呂ごと家の中にはこびこんだ。
十兵衛(じゅうべえ)は十兵衛(じゅうべえ)で目がとびでるほどおどろいた。
ポカーンと口をあけているだけで声がでない。あいた口に
ゴボゴボ ゴボゴボ・・・
お湯が入ってくる。からだは風呂(ふろ)のなかで
フニャ フニャ フニャ フニャ
フニャ フニャ フニャ フニャ・・・・
ゆれうごく。十兵衛(じゅうべえ)はおそろしさのあまり、風呂(ふろ)のふちにしがみついているだけだった。
やっと、家の中にはいるとおろしてもらった。十兵衛(じゅうべえ)はわれにかえると、はずかしそうに風呂(ふろ)からでた。
そうして奥のへやにいって、着物にきがえてきて、いろりばたにすわり、
エヘン エヘン
と、せきばらいをして
「お信(のぶ)、ちょっとこい」
と、お信(のぶ)をよびつけた。お信(のぶ)もはずかしそうにすわった。
十兵衛(じゅうべえ)はおもむろに口をひらいた。
「女があんな力(ちから)をだすもんじゃない。もし、人にでも見られたら、どうするんだ。・・・女のくせに力(ちから)もちだと、いい笑いものになるではないか。それに、おまえだけじゃない。わしとて、ええ笑いものになってしまう」
お信(のぶ)は
「はい」
と、へんじをしたが、なみだがポロポロポロポロおちた。雨にぬれる十兵衛(じゅうべえ)のことを思ってやったのに、十兵衛(じゅうべえ)から力(ちから)をだすでないと説教された。あまり悲しくて囲炉裏(いろり)の鉄の火箸(ひばし)をにぎると、お信(のぶ)はポキンポキンとおった。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)