1
むかしむかしのことだ。江場土(えばど)の金比羅様(こんぴらさま)の境内に、大きな松の木がおいしげっていた。松のみきはおとな五人で手をのばして、やっとかかえることのできる太さであった。四方八方に枝をはって、それはそれはみごとな枝ぶりであった。
ある年のことであった。夷隅(いすみ)川にかかる橋を作るために、この松を切ることになった。このあたりではうでのいいきこりが、大きなオノとノコギリをもって、金比羅様(こんぴらさま)にやってきた。金比羅様(こんぴらさま)のやしろに御神酒をあげ、頭を下げ
パンパン
と二回、手を打った。
「夷隅(いすみ)川の橋をつくることになりました。もうしわけありませんが、境内の松を切らせていただきます」
と、言ってまた頭を下げた。
それから、松の根本にやってきて、御神酒(おみき)を松の木のみきにふりかけながら言った。
「夷隅(いすみ)川の橋をつくることになりました。もうしわけありませんが、橋の材料にさせていただきます」
やがて、松の大木にオノをうちこんだ。
カーン カーン カーン・・・
という音が境内にひびき、音は風に流され太東埼の方向にきえていった。
カーン カーン カーン・・・
あまりにも太い松である。海からのぼった陽(ひ)はいつしか西にかたむき、真っ赤な夕焼けが空をそめていた。
「きょうはこのくらいでやめよう」
「明日、のこぎりで切りたおそう」
ひとりごとを言いながら、若者は朝とおなじようにオノとノコギリをもってかえって行った。
2
つぎの日、朝日がのぼると若者(わかもの)は金比羅様(こんぴらさま)にでかけた。
きのうと同じように手をうち頭を下げて、作業にとりかかった。きのうのオノの切り口からノコギリをひくのがきょうの仕事である。
ところが、あら、ふしぎ。きのう一日かけて切りとったオノのあとがない。松の木のまわりをぐるぐるまわても、松の木にはオノのあとなどみあたらない。あれれ、こんなふすぎなことがあるものか・・・もう一回注意深くまわってみた。でも、きりあとも、木くずもみあたらない。そのうちに、
「きのうの仕事は夢だったのか・・・」
「あれは夢だったのだ・・・」
と思いこんでしまった。
また、きのうのようにオノをうちこんだ。
カーン カーン カーン・・・
オノをうつおとは、きのうとおなじように境内にひびき、太東埼の方に流れてきえた。
ひたいに汗がふきだしはじめたころだ。
「うるせいな」
大声がしたかと思うと、若者(わかもの)はちゅうにういた。
松の枝のあいだから、夷隅(いすみ)川がみえ海が見え、清水寺までみえてきた。
びっくりした。
「いててて、えりをはなしてくろ。息(いき)ができない」
気がつくと若者(わかもの)は松の木のてっぺんの枝にちょこんとすわっていた。。天狗(てんぐ)が若者(わかもの)のえりをつかんでもち上げたのだ。
「うるせえな、ここを天狗(てんぐ)様のすみかと知ってのことか」
「い、いえ。天狗(てんぐ)様のすみかとはしりませんで」
「きのう一日がまんしたけど、きょうもうるさくするのか・・・」
「いや、天狗(てんぐ)様の松の木なら・・・」
「天狗(てんぐ)様の松の木だといったら・・・」
長い鼻(はな)をピクピクさせて言った。
「いいか。木をゆすられると、どんなにすみにくいか、わかるまい・・・」
天狗(てんぐ)は若者(わかもの)をてっぺんの枝にのこすと下におりて木をゆすった。松の大木はゆらゆらゆれる。
若者(わかもの)は枝にしがみついて、さけんだ。
「わかりました。わかりました。松の木は切りません」
「どうか、はやくおろしてください」
ワナワナふるえている。下をみると金比羅様(こんぴらさま)のやしろは小さくみえる。
「そうか。わかってくれるか」
えりをもって若者(わかもの)は下におろされた。
「おお、たまげたー」
しばらく、ふるえていたが、若者(わかもの)はノコギリもオノももたずに、にげかえった。
これいらい、この金比羅様(こんぴらさま)境内の松の大木はだれもきろうというものはいなかった。それどころか、天狗(てんぐ)松とよばれ金比羅様(こんぴらさま)とおなじように村人からおがみとうとばれた。
しかし、この松は戦時中(せんじちゅう)にきられ、今はない。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)