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房総の偉人

房総の偉人

関東作と水田開発

勝浦市の昔ばなし

勝浦の杉戸(すぎと)原には耕地整理された美しい田んぼが広がっている。その入り口に、顕彰(けんしょう)碑が建てられている。この碑には、こんな歴史がある。

1
「こまったもんだ。堰(せき)の水がもう少ししかない」
「この水がなくなったら、稲は枯(か)れてしまうぞ」
「稲が枯(か)れたら・・・」
植物にとって、いや人間にとっても水がないことは死を意味する。
稲を枯(か)らしてはならないと、農民達は大蛇のようにくねって流れる、いつみ川から水を運び上げた。
「きょうも、水運びか」
「しょうがね。水をやらねば稲は死んでしまう」
「雨がふってくんねえかなあ」
天秤(てんびん)でかついで運ぶ水量は限られている。二つの天秤(てんびん)に入れられた水は、坂道を運んでくる間にぼとぼとこぼれ、田んぼに着く頃(ころ)には半分ほどになっている。そうして、水をまくと、ひび割れた水田に、アッという間にすいとられる。
このような、日照りの年、農民達は気長に雨の降るのを待つしかなかった。時には、「雨乞(あまご)い」といって、寺の僧や神社の神主にお願いして雨乞(あまご)いの儀式を行った。しかし、雨乞(あまご)いの儀式(ぎしき)が「気休め」にすぎないことはだれもがわかっていた。でも、神や仏に頼るしかなかったのだ。
天秤で運んだ水も、太陽の力にはかなわない。村中総出で運んだ水も、翌日には地割れがさらに深くなり、稲は生気を失い枯(か)れていった。
東作(とうさく)はこのような日照りの年をいく度も経験してきた。
「川の水を水田に運べないものか」
いつみ川の流れを見ながらつぶやいた。

2
隣の大多喜町では、山をくりぬいて田んぼに水を運んだという前例がある。ここ杉戸(すぎと)の田んぼも同じようにできないものか、弟の喜惣治(きそじ)に相談した。なぜ、弟に相談したかというと、喜惣治(きそじ)は測量の名人で、この地域で知らぬ者はなかったからだ。
「喜惣治(きそじ)、杉戸(すぎと)の農民は困っている。今年も干ばつで稲がやられたという。田んぼに川の水を引く方法が・・・」
「田んぼより川の流れが低い」
「水は高いところから低いところへ流れる・・・」
「・・・・・・」
ぶつぶつ独り言を言う喜惣治(きそじ)を東作(とうさく)はじっと見つめている。
「兄貴、たやすいことだよ」
「たやすい」
東作(とうさく)は耳をうたがった。
「そう、たやすいことさ。川を田んぼよりも高くすればいいんだ」
「あたりまえだ。川が田んぼより低いから、困っているではないか。兄貴をからかうのも、いいかげんにしろ。こっちは真剣なんだ」
「からかっているんじゃない。水は高いところから低いところにしか流れないんだ。これが大事なんだ」
「そんなこと、わかっているさ。水が低いところに流れることくらい。俺だって知っている・・・。バカにするのもいいかげんにしろ」
東作(とうさく)は、喜惣治(きそじ)のことばに腹を立てた。
「兄貴、そこなんだ。水はいつみ川にいっぱいある。この川の水を、田んぼに引くんだ。それには、川の水面を田んぼより高くするんだ」
「田んぼより、川の水面を高くする。そんなこと、無理に決まっているではないか」
「兄貴、それが無理ではないんだ。兄貴は田んぼのすぐそばの川から運ぼうとするからだめなんだ」
「・・・・・・」
東作(とうさく)の顔は真剣になった。
「川の上流地は、田んぼより高いところにある。この高いところから、水をひけば流れるだろう」
「川の上流から水は流れている。あたりまえじゃないか。それが川じゃないか」
「自然の流れにたよってはいけないんだ。川の流れを人間の手で変えるんだ」
「川の流れを変える」
「そうだ。流れを変えるんだよ。隣の大多喜では、十年前にやっているんだ」
「ええ、そんなことができるのか」
「できます」
喜惣治(きそじ)はきっぱり言った。

3
東作(とうさく)と喜惣治(きそじ)は早速、川の流れを調べ、杉戸(すぎと)地区の標高、川の上流の標高を調査した。
「上流のこの地が杉戸(すぎと)地区より標高がやや高いので、この付近の川をせき止め堰(せき)をつくります。そうして、ここに集めた水を、水路を造って杉戸(すぎと)の田んぼまで運ぶんです」
「水路」
「そうです。水路です。路はできるだけ短いほうがいいです」
上流地点から杉戸(すぎと)の田んぼまで地図に定規で一直線に線を入れ
「これが、水の路です」
「ええっ、山がいっぱいあるではないか」
「そう、山をくりぬいて水路を造るのです」
「・・・・・・」
「そんなことができるのか」
東作(とうさく)はぼう然とした。
「できるんです。やるんです」
「・・・・・・」

4
やがて、杉戸(すぎと)地区の農民への説明(せつめい)の日が来た。地区総代の
「みなさん、お集まりいただきありがとうございます。・・・水不足を解決するために協力してもらいたい・・・」
と、あいさつがあった。みんな、水不足が解消すると、うなずきながら聴いていた。地区総代の後に、東作(とうさく)と喜惣治(きそじ)は大きな地図を前に、説明(せつめい)に入った。みんな静かに聴いていたが、やがて
「・・・川のここに堰(せき)を造り、この山をくりぬいて水路を・・・」
と、山をくりぬいて水路を造る、という説明(せつめい)をすると、ざわめいてきた。
「山をくりぬく、そんなバカな」
「あんな大きな山に穴をあけるなんて」
「何年かかる」
あちこちで、ささやく声がした。さらに、
「・・・そのため、お金がかかります・・・」
という説明(せつめい)になると、さらにざわめいた。
「静かにしてください」
と言うと、威勢(いせい)のいい男が
「ばかを言うのも、休み休みにしろ。山をくりぬくだの。大金がかかるのだ・・・できるわけがないだろう」
と怒鳴(どな)った。すると
「無理だ。無理だ・・・」
と、いう声が次々にあがった。地区総代が
「みなさん、静かに。静かに聴いてください・・・」
と、声をはりあげた。しかし、騒(さわ)ぎは静まらなかった。
「・・・今年の夏のように、米がとれなくてもいいのか・・・」
米がとれなくても、という言葉にみなだまった。また、東作(とうさく)と喜惣治(きそじ)の話が続いた。
説明(せつめい)が終わると、
「工事日数は?一戸の金の負担(ふたん)は?男手(おとこで)のない家は?本当に工事が成功するのか?・・・」質問が次々に東作(とうさく)と喜惣治(きそじ)に浴びせられた。東作(とうさく)と喜惣治(きそじ)は物静かに、優しい口調で説明(せつめい)した。静かな口調、わかりやすい説明(せつめい)のせいか、興奮(こうふん)していた農民達もやがて静かに聴(き)き入っていた。やがて
「やろう、やろう。水路を引こう」
「乾(かわ)いた田んぼに水を引こう」
という声がささやかれてきた。

5
工事が始まった。村の衆(しゅう)がノミやカナヅチ、ツルハシやクワ、ノコギリ、を持って集まってきた。工事は思いのほか困難(こんなん)であった。ことに山にトンネルを掘る作業では、堅(かた)い岩盤(がんばん)が現れ、作業を遅(おく)れさせた。作業が遅れると
「やっぱり、無理な工事だ」
「こんな工事、できるわけがねえ」
と、不満をもらす者が出てきた。工事でけが人が出ると
「山に穴を掘るなんて神様が罰したんだ」
「神様が決めた川の流れを変えるなんて、バチがあたったんだ」
と、うわさし、協力しない者も出てきた。すると、工事は遅(おく)れる。工事が遅れると、費用もかさむ。しかし、東作(とうさく)は費用の追加を言い出せなかった。そのたびに、費用を自分で工面する東作(とうさく)だった。
このように、私財(しざい)を投げうってまでも懸命(けんめい)に働く東作(とうさく)の姿に、不平不満を言って協力を惜しんでいた人たちも、再(ふたた)び協力するようになった。
工事は三ヶ月かかって完成した。
春、あぜ道にたんぽぽの花が、黄金色(こがねいろ)のジュータンをしいたようにびっしり咲いた。田んぼに水が引かれた。
「わーっ。水だ、水だ」
水がコンコンと流れ、田んぼに水が満たされた。田んぼの水面には白い雲、新緑の山が映っていた。春風がふくたびに、さざ波がたった。そうして田植(たう)えをむかえた。苗はぐんぐん伸び、夏をむかえた。稲は日照りの夏も、枯(か)れることなく生長し、収穫の秋を迎えた。
「東作(とうさく)のおかげで、米ができた」
「日照りでも、米ができる・・・」
「もう、水の心配はいらない」
杉戸(すぎと)の人たちは喜んだ。
これ以後、杉戸(すぎと)の人たちは水の心配をすることなく、毎年、収穫の秋を迎えた。東作(とうさく)は大多喜町西畑の出身であったが、この偉大な仕事が認められ、杉戸(すぎと)の関(せき)家に養子として迎えられた。杉戸(すぎと)の人たちは東作(とうさく)に会うと、頭を深々とさげ、感謝の気持ちをあらわした。
「杉戸(すぎと)村を救ってくれた恩人」として尊ばれた東作(とうさく)は、明治十二年一月二十五日、杉戸(すぎと)の人たちに惜しまれながら、世を去った。八十五歳であった。
杉戸(すぎと)原の入り口には、東作(とうさく)の偉業をたたえて、昭和三十七年に顕彰(けんしょう)碑が建てられ、関(せき)東作(とうさく)の偉業と地域の人々のおしみない協力を今に伝えている。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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