1
むかしむかし、夷隅町のとあるところに、太郎兵衛(たろうべえ)という庄屋(しょうや)さんが住んでいました。
太郎兵衛(たろうべえ)は、田んぼや畑をたくさん持っていて、おおぜいの百姓さんたちに貸(か)していました。秋には貸(か)し賃(ちん)としてたくさんのお米がはいりました。その米を売って現金にかえるので、とっても金持ちでした。
しかし、金持ちなのにたいへんなけちんぼうでした。
「たまにはさかなを食べてみてえもんだ」
「さかなの味さえわすれてしまった」
「おれたちも、たまには、さかなという名がつく食べ物を食べてえものだ」
というと
「なにを言う。菜(な)っ葉(ぱ)という、菜(な)のつくものを毎日食べているではないか」
と、なっ葉(ぱ)の漬(つ)け物(もの)を出してきました。
「おかずが少ない」
といえば
「これ、このように梅干(うめぼし)しを見ながら食べれば、食欲(しょくよく)はすすむもの」
と、ぜいたくをいましめ、節約(せつやく)につとめていました。
太郎兵衛(たろうべえ)はある時、息子(むすこ)の文太郎(ぶんたろう)をよんで
「なあ、文太郎(ぶんたろう)。お金をためるにはどうしたら良いと思う」
と、たずねました。文太郎(ぶんたろう)はとつぜんの問(と)いにこまった。しばらく考えると
「そうですね、かせいだ金を使わなければ、たまります」
と、答えました。文太郎(ぶんたろう)の答えに父は
「そのとおり。そのとおり」
と、満足そうにうなずきました。
「金を使わなければたまる。たまれば金持ちになる。そのとおりじゃ。ところがお金は使うためにある、なんてへりくつを言う者がいる。あれは貧乏人のいうことばだ」
文太郎(ぶんたろう)は
「はい。使うのは頭、使っていけないのは金です」
と、つづけました。父は
「よしよし、いい子だ。いい子だ。おまえもこのお父さんのように金持ちになるぞ」
と、喜びました。
2
ある日、大多喜の城下に用足しに行くことになりました。途中(とちゅう)、夷隅町と大多喜町の境の夷隅川にさしかかりました。橋はなく、川をわたるには川人足にたよらなければなりません。
「川のわたしちんはいくらかな」
と、たずねますと
「十文。安いだろう」
と、いう返事がかえってきました。大金の入ったさいふを出してしばらく考えましたがむすこを見て
「川人足も人間だ。あの人たちにわたれて、われわれにわたられぬわけはない。さあわたろう」
と、川人足をたのまず荷物を首にまきつけて、太郎兵衛(たろうべえ)と文太郎(ぶんたろう)親子は川に入っていきました。途中(とちゅう)までくると、深くて背が立たなくなりました。そうして、先に歩いていた太郎兵衛(たろうべえ)が足をすべらせおぼれました。あっぷあっぷしています。
「うわあ。おとっつあんを助けて」
と、さけび、岸に引き返してきました。人足たちは
「十文(もん)をけちるからこんなことになるんだ。百文(もん)出せば助けてもいいぜ」
と言う。
「ひゃー。百文(もん)だって。百文(もん)は高すぎる。五十文(もん)にしておくれ」
すると父は
「文太郎(ぶんたろう)、わしは死んでもいいから、百文(もん)は出すなよ」
「い、いや。五十文(もん)でも高い。せめて二十文(もん)なら助けてもらうが・・・」
と、言いながら川下に流されて行きました。そうして、父の太郎兵衛(たろうべえ)は死んでしまったと。
ほんとうに、けちんぼうがいたものです。いくら、金があっても命を落としてしまったら何もなりません。けちも、ほどほどにしなければなりませんね。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)