房総レジェンド/BOSO-LEGEND ご挨拶
日本の首都である東京のお隣、海に突き出た千葉県の房総半島は、
実は歴史的にはかなり古い土地柄で、
様々な伝説や「昔ばなし」が、今も息を殺すようにひっそりと各地に残っています。
例えば、房総半島で再起を果たした鎌倉幕府の創設者 源頼朝公、
新たな国を興そうとした平将門公、宗教者として有名な日蓮聖人、
里見八犬伝の里見氏や、水戸光圀のおばあさんであるお万の方、
徳川四天王の本多忠勝氏、その他にも、京の都で戦いに敗れた落人が、
遠くこの房総半島に流れ着き土着した伝承もあります。
もちろん史実に残るお話だけじゃありません。
当時の房総半島には、大蛇や河童をはじめとした魑魅魍魎や、
人を化かす狐狸の類である惑わし神が、白昼堂々跋扈していたのです。
そして何より、当時の人々の生活が見え隠れするお話もたくさんあります。
人の生と死、喜怒哀楽、
お百姓さんをはじめ、昔の人々の想いが生々しく伝わってきて、
胸が締め付けられるような気持ちにさせられます。
それらを少しでも世間に知ってもらえて、
後世に伝えていける手助けが出来たらいいな、というのが、
「房総レジェンド」誕生のきっかけです。
一般に広く知られている日本の昔ばなしとはちょっと違う、
その粗削りな生々しさに、多少面食らうこともあるかもしれませんが、
本サイトのポリシーとして、元々の持ち味を削ぐことなく編纂し、
伝えていこうと思っております。
関係者プロフィール
千葉県で小学校、中学校教師を歴任し、大多喜町立老川小学校校長、そして御宿町立御宿小学校の校長を最後に定年退職。以降は、教師在任中よりしたためてきた、房総半島の民話収集及び編纂、そして執筆活動を生業とし、現在まで精力的にこなしている。
また、齊藤氏が趣味で更新しているblog「じいさん晴耕雨読」が一部で大好評。 「房総レジェンド」サイト内の、夷隅郡市の昔ばなし出典元のほぼ全ては、彼、及び彼の知人・友人による収集・編纂の結晶である。「夷隅民話の会」会長。
じいさん晴耕雨読
http://ossanhage.livedoor.blog/
先祖伝来の房総半島南端の安房地方で生まれ、そして上総の地で多感な時期を過ごし、 現在は東京、そして東京近郊で活躍(暗躍?)するインターネット関連のゼネラル プロデューサー。仕事上においては、顔出し・名出しを極度に嫌うため、業界内の一部で「闇のフィクサー」「闇のブローカー」と言われて久しいが、最近個人Instagramに自らのセルフィーを出すようになってきた、ようやく一皮むけたということか。
「房総レジェンド」の企画立案者であり、本WEBサイトの実質上の「持ち主」、つまり本WEB上での不始末などの責任は、全て彼「佐奈田堂」にあるということ。また、「夷隅民話の会」の、最も最遠の地の会員でもある。
都内で働くWEBデザイナー。佐奈田堂氏と出身校が同じ、所謂「先輩・後輩」の縁で、「房総レジェンド」に巻き込まれる。
報酬は「・・追々、精神的に(^ω^)」と、反論の隙もなく説き伏せられている。 本WEBサイトのデザイン及びCMSシステム構築を担当。
夷隅郡市(大多喜町・御宿町・勝浦市・いすみ市)の民話や歳時記を、次の世代に語り継ぐ趣味の会。
年に何度か「民話の地訪問」を行う他、地域のお祭りや学園祭などにも参加し、積極的に地域の昔ばなしを、今の子供達に伝える活動をしている。
齊藤弥四郎氏が発起人。
本WEBサイト「房総レジェンド」上で、常にどこかにいる、この如何にも昔風の幼児は、実は「佐奈田堂」氏の実の父親、眞田 司(つかさ)氏。
写真は、昭和10年、2歳の頃のもの。
司氏は中学卒業後、父親(佐奈田堂氏の祖父)である東京新聞の新聞記者 眞田郡司氏に弟子入りする形で新聞記者を目指し、やがて地方紙「千葉日報」の夷隅郡担当の新聞記者となり、戦後の復興期から平成にかけて、夷隅郡・南房総のPRに務めた。
現在、本WEBサイト「房総レジェンド」のイメージキャラクターとして、活躍していただいている。
【眞田 司 1933年~2004年】
ツカ坊と並んで、常に房総レジェンド上に登場する、このちょっとオマセな雰囲気の女の子は、ツカ坊同様、やはり佐奈田堂氏の血縁で、房州の三原郷(現:南房総市和田町布野)出身の、ツカ坊にとっては従姉弟(いとこ)に当たる女性。写真の昭和10年当時は6歳。
現在、ツカ坊と共に、本WEBサイト「房総レジェンド」のイメージキャラクターとして、活躍していただいている。
【眞田 初子 1927年~2006年】