四月中旬から五月上旬にかけて、毎年遠足が行われたが、昭和初期の農村の不況時は極めて質素なもので、子どもの足で一日で歩ける道程のものが多かった。履物といえば靴はもちろん無く、新しく作ってもらった藁草履であった。ただ、遠足の日は普段は滅多に食べられない、ゆで卵や海苔巻などが食べられるので、それが楽しみだった。
今、唯一覚えている遠足は、初めて乗った汽車の旅である。小湊線上総中野駅に集合し、小湊鉄道に乗って鶴舞駅で下車し、笠森観音までぞろぞろと歩いて行ったことである。初めて乗った客車はどこかの鉄道会社の使用済みの物で、椅子も背もたれも板で、窓は小さく車内はなんとなく、薄暗い感じであり、汽車の揺れる度にギシギシと軋んだ音がした。こんな汽車であったが、先生の指導できちんと腰かけ発車を待った。定刻になるとピーッと甲高い汽笛を鳴らしガターンと背中に軽い衝撃と同時に発車した時は、皆思わず歓声を上げた。トンネルに入ると煙が窓枠の隙間から容赦なく入ってきた。こんな汽車でも初めての汽車の旅は何とも言えぬ楽しさであった。
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