小学校は、八日が三学期始めと定められていた。三学期は学年の最後の学期である。寒さの一番厳しい時季であったが、教室には暖房設備等は一切なく、板の間の教室は非常に寒かった。スリッパは誰も持っている者はなく、藁で編んだ草履を使った者もいたが少数であった。
古い校舎では、板の間やガラス戸の隙間から風が吹き込んでくることもあり、鉛筆を持つ手も悴んで手を擦った。休憩時間は日当たりのいい窓下で押しくらまんじゅう等して体をあたためた。
ただ一つ昼食のお弁当だけは簡単な保温箱があり、炭火の小火鉢を入れてあったが、四十数人の弁当箱を入れるには足りない時もあった。上段の方に入れるとほとんど温まらず冷たくない程度であり、一番下に入れると相当に熱くなり、お昼近くになるといろいろのなおかずの匂いが教室に漂ってくることもあった。その頃のおかずといえば、ほとんどが日の丸弁当と言って弁当箱の真ん中に梅干しを入れ、端の方に沢庵や味噌漬けをいれてあるものが多かった。
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