寒中についた餅は寒水漬けにすると長期保存ができるということで、この日は、どこの農家でも朝早くから杵の音が響いた。
私の家では、隣家と共同で三時頃には起きて大釜に湯を沸かし、蒸籠を据え四升を一臼として、七臼ぐらい搗いた。この中には粟を入れた粟餅、よもぎを入れた草餅もあったがやはり米だけの餅が一番おいしかった。
搗いた餅は、寒の水を入れた大きな桶に漬けて、時々水を入れ替え、四月の中ごろまで残ることもあった。寒い夜は餅入りの「おじや」にしたり、不意の来客の昼食、時には、学校の弁当にしたものである。
また、この晩は、五分角位に切った餅を「いぼた」の木の小枝に刺したものを餅花と言った。また「楾花」とも言い、昔は楾の豊作を祈り、又栗の木の今年育った若木を七,八寸くらいの長さに切り、先の方を三センチくらい削り、その先を十文字に割り目を入れた物を十二本束ね、それに赤飯を練り付けて「歳神様」に供えた。
夜は産土神社へ「初籠り」と称して、夕飯後、一家の主人は皆神社に参集し、一しきり太鼓を叩いてお題目をあげる。神社にお経をあげるのは神仏混習の名残りである。これが終ると大囲炉裏と大火鉢を囲みお茶をいただく。ここで、今年の当番の三戸から、神前に供えてあった大きな鏡餅六個を取り崩し、囲炉裏で焼いてみんなで食べる。囲炉裏にはおそらく明治の中頃にでも買ったかと思われる、およそ五升(九リットル)くらいも入る大茶釜が自在鉤に吊るされ、囲炉裏火はどんどん焚かれ、顔が火照る。餅は焼かれ、雑談が交わされるが、この頃の農家の人々の話は稲麦の作り方、炭焼窯等の経験談が多く、夜遅くまで話は尽きなかった。又途中で主婦達の集まっている子安講にも餅が届けられた。
タグ :