祭神は名古屋の熱田神宮より御分霊を受けた草薙神剣と言われ、氏子十五戸の氏神として、祭られている。
十月十五日は毎年例祭が行われ、神楽が奉納された後、氏子廻りといって、氏子の各戸を神楽が厄払いに廻った。
九月に入ると、太鼓、神楽、祭笛の練習が隔晩に行われた。この役も古老達の指示で、半強制的に明治時代は指名されていたという。また、例祭には、地区のやや中央に明治十年に作られた幟が二本立てられた。祭りの前の晩は、宵祭と言って、境内には各戸からあげられた地口行灯が並べられ、子ども衆や氏子が集まり、神楽を奉納し賑やかな宴会が夜遅くまで催された。
またこのお祭りの時は各家々では主婦達により、お寿司や甘酒が作られ、お祭りのない他地区の親戚の者が泊まりがけで来る家もあり、地区中は賑わった。しかし、主婦達にとっては餅搗き、お寿司作り、接客や氏子廻りの神楽の人達への御馳走作りと重労働であった。
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