大多喜町 西畑歳時記10月

神無月

熱田神社の縁起

正賢寺日修上人の書によると、本社は享保八年癸卯十一月に創建され氏子十五戸の氏神として信仰されていた。例祭は六月十五日、貴船神社の神官を迎えたともいう。この十五戸とは、バッバ、下、向、作尻、下台、前、前台、中、棟、棟の台、オイ、登出、先の台の十三戸で、二戸は判らないが、この書を作った時点で、下井戸と下の隠居を入れたものではないかと思う。二戸とも明治の初期に押沼に来たものである。
明治初期までは、御神輿があり、祭礼には村中を渡御したとも伝えられる一面、十五戸では担ぐ人が足らず、片方を土手に担がせ、他地区の人達から、押沼の土手神輿と笑われたそうで、その後これを中野山水神社に売り、替わりに神楽を買ったとも聞いている。

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つか坊と姉ちゃん